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病人のレッテル

こ無沙汰しています、1ヶ月のお休みになりました。

父に手がかかり、実家よりの生活が続いてネットもままならない状況でした。

連日の猛暑に実家の畑作業が加わりお疲れ気味ですが、私自身は元気です!

しばらくは、のらりくらりいきたいと思います。


(DARKNESS DUOさんのブログより)

現代社会の仕組みに合わない人間は、病気として排除される

かつて、タイやインドネシアの僻地ですることもなく時間をつぶしていたとき、現地の人々はのんびりしている私以上にのんびりと生きていた。

昼寝している人は、明けても暮れても昼寝したまま過ごしているし、井戸端会議している母親たちは、やはり朝から晩までそうやってのんびり暮らしている。

バングラデシュの郊外をさまよい歩いたとき、ひとりの男が自分の村を案内してくれたのだが、そこでも台所で近所の女性たちが自然に集まってくつろいでいて、何をすることもなく暮らしていた。

彼らはそうやって生きていけるからそうやっているわけで、東南アジアや南アジアの農村に流れている空気と時間は、先進国で流れている空気と時間とはまったく違ったものである。

彼らを無理やり都会のどこかに連れて行って、工場に放り込んで時間に合わせて働けと強制したら、多くの人がついていけなくなって心が壊れるかもしれない。

そして、そういった人たちは社会から「駄目な人間たちだ」と烙印を押されて排除されるかもしれない。


そのうちに病気として扱われるようになる


しかし、重要なことがある。彼らは工場化社会では排除される人間かもしれないが、農村では別に何の問題もなく、普通に生きてきて暮らしていたということだ。

逆に私はどうなのか。私は先進国である日本の効率化社会で生まれ育って、何でも早く、何でも効率的に、何でも正確にやることを求められる社会に染まった。

そういった人間が東南アジアの農村に置いてけぼりにされると、私の姿はあのゆったりとした空気と時間の中で生きる人たちにどう見えただろう。

私の姿は、農村の人間からすると、せかせかして落ち着きがなく、細かいことを気にして、イライラしていて、ひとときもじっとしていられない「おかしな人」に見えるはずだ。

場合によっては、「あの人は、精神的に何か問題のある」と思われたかもしれない。

時間の捉え方が違い、感覚も違う。彼らが工業化社会で働くと、彼らは落ちこぼれになる。そして、先進国の人間が農村社会で働くと、体力も落ち着きもない病人と見なされる。

社会が変化すると、新しい社会に適合できない人が必ず出てくる。そういった人は、最初に「困った人」として扱われる。

しかし、ずっと困った状態のままでいると、どうなるか分かるだろうか。やがて新しい病名が付けられ、そのうちに病気として扱われるようになるのだ。

かつて病気と見なされなかった人も、社会に適合できないでいると「それは、病気」なのである。


続きはコチラです




誰だったかしら?巨泉さんかな?こんなことを言ってた人がいました。

「先頭に立てなければビリでいなさい。いつか風向きが変われば先頭になれるから。」

人に優劣をつけるなんて、本来不可能なことなんですよね。
つけられるとしたら、このことにおいてはの限定でしかない。

前にも書きました。
精神科のつける病名なんて詐欺でしかありません。
そんなものが薬で治るわけがない事例ばかり。

万人が認められる世界なんて夢のまた夢なんですが、タックスヘイブンの僻地で暮らすのも悪くないかもしれません。
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